明治大学の先輩で、けれども富士山ガイドの後輩である人をなくしました。今年はたくさん山で人をなくしています。(僕は明治大学山岳部員ではありません)
南アルプス市の加藤さん死亡(山梨日日新聞WEB版)
 中国・チベット自治区のヒマラヤにある標高7538mの高峰・クーラカンリを登山中だった日本人登山隊が雪崩に遭い、山梨県南アルプス市の登山家・加藤慶信さん(32)ら3人が死亡した。
 北京の日本大使館に1日夜、中国のチベット登山協会から連絡が入ったもので、亡くなったのは、加藤さんのほか、日大0Bの中村進さん(62)、早稲田大・大学院生の有村哲史さん(27)の2人。
 登山隊は、明治大、日大、早稲田大のOBなど7人で構成する「日本クーラカンリ登山隊」で、先月14日に成田を発ち中国入りし、チベット自治区のラサからクーラカンリにアプローチし、20日から登山を始めた。
 亡くなった加藤さんは、登攀隊長で、日本時間の1日午後、第2アタックキャンプ設営のため、標高5900メートル付近からベースキャンプに戻る途中、雪崩に巻き込まれたという。
 加藤さんは、2006年にヒマラヤ連峰8峰目となるシシャンパンマ(8013メートル)の登頂に成功。クーラカンリは9峰目の挑戦だった。また、2004年には第28回野口賞を受賞するなどアルピニストとして高い評価を得ていた。
 加藤さんとは身の上を語り合うような会話をする機会はなかった。加藤さんは僕よりもむしろ僕の母にとって関係の深い人だった。
 母は2005年、2006年、2007年に富士登山にチャレンジした。第一回目は僕が付き添って二人で登った。夕方に八合目まで行き、翌朝夜が明けてから頂上を目指す予定だったが、翌朝起きてみると母が高山病気味だったため登山を中止し下山した。第二回目は、僕がドイツに行っていた年ということもあり、母は旅行会社のツアーに参加した。二泊三日の行程で、一日目に八合目に宿泊、二日目は八合目を出発して頂上を目指しお鉢巡りもしてまた八合目まで下山して宿泊、三日目にご来光とともに下山するという所謂「ゆったり」ツアーだったが、一日目に八合目に到着した時点で台風の影響による悪天候のため停滞することになり登頂は果たせなかった。三回目は去年のことになるが、二回途中まで登ったことで登山道の雰囲気や時間距離がわかったということで、母は旅行会社の夜行登山ツアーに参加した。一番スタンダードだが体力的・精神的にはつらい、八合目で3、4時間ほど仮眠して夜明け前に登頂、ご来光を拝んで下山するという行程だ。そのツアーのガイドを担当したのが加藤さんだった。加藤さんのガイドのおかげで、母は三回目にしてついに富士山登頂を果たすことができた。
 加藤さんは僕の大学の先輩で、母にとっては富士山の先達で、そして登山の世界では比肩しうるもののない登山家だった。ためしに加藤さんの名前で検索して彼について書かれたブログや文章を見てみると、加藤さんがいかに人間的にすばらしく、頼りになる人だったかがわかるだろう。加藤さんは大学を卒業してから富士山ガイドを始めたが、年下の、自分よりも登山の経験が乏しいがガイドとしては先輩ばかりいるという環境の中で年下の僕らに丁寧語、あるいは敬語で接してくれる礼儀正しい人だった。
 印象深く思い出されるのは、加藤さんが鼻に凍傷の傷をつけてやってきた夏の日だ。五合目でその日加藤さんが担当したのは10人ほどの(富士山では)少人数の団体。会社か学校時代の友人というかんじで、和気藹々とした団体だった。ガイドは五合目で初めてお会いするお客様に挨拶をし、登山を開始するにあたっての注意事項を説明をする。そこで言うことはだいたい決まっているのだが、お客様が少人数で顔見知りという点を考慮してか、加藤さんはこんなことをお客さんに伝えていた。
 これから長い時間一緒に行動する。疲れて余裕がなくなってくると、ささいなことにイライラしたり怒ったりしてしまう。つまらないことで仲が悪くなったりもする。友だち同士力を合わせて最後まで仲良くいきましょう。
 そんな内容だったと思う。なんでもないような普通のことなのだが、ひょっとしたらその言葉の背景には、加藤さんがそれまでに経験していた混成登山隊による高所登山があったのではないかと思った。根掘り葉掘り聞こうという気にはならなかったし、ひょっとしたら加藤さんは大人数の団体の引率のときにもいつもそういうことを言っていたのかもしれない。
 そんなことを思い出した。安らかにお眠りください。